げ]九[#「九」は中見出し] 二年間ばかり、私は一生懸命読書に耽りましたが、丁度高等学校の三年生になった年からそろ/\詩だの小説だのに筆を染め出して、諸種の文学雑誌へ寄稿するようになりました。私の名前は直《じき》に文壇の人々から認められるようになり、新進作家のうちでも将来有望な一人として目指《めざ》されました。それが当時の私に取ってはどんなに嬉しかったでしょうか。私はやがて自分の名前が、紅葉や一葉や、子規などゝ列んで、明治の文学史のページを飾るべき一員となるべき事を想像しました。私はすっかり図に乗って、感興の湧くまゝに無闇と沢山の創作を試みました。実際、筆を執らずには居られない程思想が滾々と流れ出るので、いくら書いても涸渇する事があろうなどとは思いも及ばなかったのです。 「己はとう/\岡村に勝ってやった。」 と、私は感ぜざるを得ませんでした。 岡村君が芸術に対して自己の執る可き態度を決定する事が出来ず非常に迷って居る有様は余処目にもよく判りました。話をすれば口先ばかりえらい[#「えらい」に傍点]事を云いながら、彼は何一つ其れを実行して見せた例がありません。そうかと云って………彼の嫌な哲学は勿論の事、文学に関する真面目な書物などを研究して居る様子もないのです。たゞ折々読んで居るのは仏蘭西物の詩だの小説だの、それでなければ美術に関する書籍ぐらいで就中絵画と彫刻の事だけは西洋は勿論印度支那日本の方面迄も一と通り暗《そら》んじて居たようでした。やゝともすれば「僕は絵かきになれないのが返す返すも残念だ。」と云って悶えて居ました。 「君は古来の画家のうちで誰が一番好きなんだ。」 嘗て私がこう云った時、 「日本では豊国、西洋ではロオトレク。」と答えました。 ロオトレクが好きだけあって、彼はチャリネが大好きでした。 「日本人の曲芸は体格が貧弱だから面白くないが、西洋人のチャリネは芝居よりももっと[#「もっと」に傍点]芸術的だ。僕はチャリネのような感じのする芸術を作りたい。」と、始終彼は云って居ました。 日を経るに随って、岡村君の言動はます/\奇矯になり、どうかすると真面目なのか冗談なのか分らないような事を云いました。 「最も卑しき芸術品は小説なり。次ぎは詩歌なり。絵画は詩よりも貴く、彫刻は絵画よりも貴く、演劇は彫刻よりも貴し。然して最も貴き芸術品は実に人間の肉体自身也。芸術は先ず自己