て酒《さか》しお[#「しお」に傍点]に使うと云うんだが、実際ありゃあいい考だね。江戸っ児に云わせると京都の人はしみッたれ[#「しみッたれ」に傍点]だと云うけれど、出先でまずい物を喰《く》うよりその方がいくら悧巧《りこう》だか知れない。第一材料が分っているから安心してたべられる」 見わたしたところ、追い追い客が詰まって来た土間の彼方此方《あちこち》には、思い思いに輪を作って小さな宴会が始まっていた。日が高いので男の客は少いけれど、町の女房らしいのや娘らしいのがめいめい子供たちを連れて、中には乳呑み児を抱いたりして、彼処《あそこ》に一とかたまり、此処《ここ》に一とかたまりと云う風に、ところどころに陣を取っては、舞台の芝居には頓着《とんじゃく》なく、重箱のぐるりにまどい[#「まどい」に傍点]しながらたべているので、その賑《にぎや》かさ、騒々しさと云ったらない。ここの小屋でも煮込《にこ》みのおでん[#「おでん」に傍点]と正宗ぐらいは売っていて、それで酒盛りを開くのもあるが、大部分の人は皆相当にかさ[#「かさ」に傍点]のある風呂敷包みを持参している。明治初年の飛鳥《あすか》山へでも行ったならば、花見時には定めしこんな光景が見られたであろう。要は蒔絵《まきえ》の組重などと云う物を時代おくれの贅沢品だと思っていたのに、ここへ来て見て始めてそれが盛んに実際に用いられているのを知った。成るほど漆《うるし》の器の感じは、玉子焼きや握り飯の色どりといかにも美しく調和している。中に詰まっている御馳走がさもおいしそうである。日本料理はたべる物でなく見る物だと云ったのは、二の膳《ぜん》つきの形式張った宴会を罵《ののし》った言葉であろうが、この花やかな、紅白さまざまな弁当の眺めは、ただ綺麗であるばかりでなく、なんでもない沢庵《たくあん》や米の色までがへんにうまそうで、たしかに人の食慾をそそる。 「冷えるところへ持って来て、酒が這入ったもんだから、………」 と、老人はさっきから二度も三度も小用を足しに立って行った。が、誰よりも困っているのはお久で、実は場所柄が場所柄だから、なるべくそんなことがないように出がけに済まして来たのだけれど、気にするとなお催すものだし、莚の下から背すじの方へ冷めたさが這い上って来るのに加えて、いけぬ口ながら二つ三つ老人の相手をしたり、重箱の物を摘まんだりしたのが覿面《てきめん