」に傍点]がちみとうてかなわんわ」 と、お久は臀《しり》の下に布団を三枚も入れながら、 「なあえ、こないなとこにおいやしたら毒どすえ」 と、しきりに桟敷に変ることをすすめるけれど、 「まあまあ、こう云う所へ来てそんな贅沢《ぜいたく》を云うもんじゃあない。ここで見なけりゃ矢っ張り情が移らないから、つめたいのは辛抱するさ。これも話の種だあね」 と、老人は取り上げるけしきもない。しかしそう云う当人も冷えて来るのがこたえると見えて、錫《すず》の銚子をアルコールの炉であたためながら、直ぐもう酒を始めるのであった。 「御覧、この辺の人たちはみんなわれわれのお仲間だね、ああして重箱を持って来ている。―――」 「なかなか立派な蒔絵のがありますね。中に這入っているものも、玉子焼きだの海苔巻《のりまき》だの似たようなものばかりじゃないですか。この辺では始終こう云う芝居があるんで、弁当のおかず[#「おかず」に傍点]も自然と一定しているんでしょうな」 「この辺に限ったことじゃあないさ。昔はみんなああだったんで、大阪あたりじゃつい[#「つい」に傍点]近年までその習慣が残っていたあね。今でも京都の旧家なぞだと、お花見なんかには小僧に弁当と酒を提げさして出かけて行くのがたくさんある。そうして向うでちろり[#「ちろり」に傍点]を借りてお燗《かん》をつけて、余った酒は又|壜《びん》に入れて持って帰って酒《さか》しお[#「しお」に傍点]に使うと云うんだが、実際ありゃあいい考だね。江戸っ児に云わせると京都の人はしみッたれ[#「しみッたれ」に傍点]だと云うけれど、出先でまずい物を喰《く》うよりその方がいくら悧巧《りこう》だか知れない。第一材料が分っているから安心してたべられる」 見わたしたところ、追い追い客が詰まって来た土間の彼方此方《あちこち》には、思い思いに輪を作って小さな宴会が始まっていた。日が高いので男の客は少いけれど、町の女房らしいのや娘らしいのがめいめい子供たちを連れて、中には乳呑み児を抱いたりして、彼処《あそこ》に一とかたまり、此処《ここ》に一とかたまりと云う風に、ところどころに陣を取っては、舞台の芝居には頓着《とんじゃく》なく、重箱のぐるりにまどい[#「まどい」に傍点]しながらたべているので、その賑《にぎや》かさ、騒々しさと云ったらない。ここの小屋でも煮込《にこ》みのおでん[#「おでん」に傍点