\の半出家たちが彼方此方《かなたこなた》に宿を求め、めい/\己れの性《しょう》にかなった教について行《ぎょう》を修めているのであるが、或る晩そう云う人たちが或る宿房へ寄り合った時だった。一人の僧が、見渡したところ、われ/\はみな半出家ですが、いずれも遁世なされたのにはそれ/″\の仔細があることでしょう、座禅をするのも悪くはありませんけれども、懺悔の徳も罪をほろぼすと云いますから、今夜は一つ皆の衆で懺悔物語をしてはどうですかと云い出して、それをしおにいろ/\な若い頃の想い出話が一座のあいだに弾んだ折、年頃は四十二三であろうか、綻びだらけの衣を着て難行苦行に見るかげもなく痩せ衰えているものゝ、鉄漿《かね》をふか/″\とつけて何処かに尋常な俤のある僧の、さっきから隅の方に引っ込んでじっと考え込んでいたのが、ふと、ではわたしの身の上を聞いて下さいますかと云って、しんみりした口調で語り始めた。――― 都のことは定めし方々《かた/″\》も御存知でしょうが、わたしはもと、尊氏将軍のおん時に、糟屋の四郎左衛門と申して近侍に召し使われていまして、十三の年から御所へ参り、礼佛礼社《らいぶつらいしゃ》、月見花見の御供にはずれたことはなく、まめに仕えていますうちに、或る年のことでした、二条殿へお成りになる御供に附いて行きましたら、折節朋輩どもが寄り集って遊んでいましたものと見え、わたしのところへも使をよこして、速く来ないかと云って来ましたので、まだお帰りには間《ま》があるかしらと思いながらお座敷の体《てい》をのぞいて見ますと、ちょうど御酒が二三献過ぎた時分らしく、一人の女房が引出物に、廣蓋《ひろぶた》の上へ小袖を載せて持って出て来るところでしたが、その女房と云うのが、二十《はたち》にはならないほどのうら若さで、練絹の肌小袖に紅花緑葉の単衣《ひとえ》をかさねて、くれないの袴を蹈んで、長い髪を揺りかけている姿の美しさ、染殿の妃、女御更衣と申してもきっと此れほどではあるまいと思われて、あゝ、人間に生れたからにはこう云う人と言葉を交し、枕を並べたいものだが、それにしても今一度出て来てくれないものかしら、せめてもう一と目とっくり顔を見たいものだと思いましたら、その時からあくがれ心地が胸をとざして、忘れようとしても忘れられず、うつゝともない恋になってしまいました。それから宿へ帰っても上※[#「藹」の「言」