シト二ツカ三ツシカ違ワナイ癖ニ」 「ジャア何テッタライヽンデス、三ツ違イデモ叔母サンハ叔母サンダカラナ」 「『叔母サン』ヲ止メテ『颯チャン』ト仰ッシャイ、菊チャンモ京チャンモソウ呼ンデヨ、ソウシナケレバ返事シナイカラ」 「叔母サンハ―――アレ又『叔母サン』ガ出チマッタ、―――叔母サンハソレデイヽカモ知レナイケレド、浄吉叔父サンニ怒ラレヤシナイカナ」 「浄吉ガ怒ルモンデスカ、怒ッタラアタシガ怒ッテヤルワ」 「オ爺チャンハ『颯チャン』デモイヽケレド、ウチノ子供達ニソウ呼バセルノハドウデショウカネ、中ヲ取ッテ『颯子サン』ニシマショウヨ、ソレガイヽワ」 ト、五子ガ苦イ顔ヲスル。 酒ヲ厳シク禁ジラレテイル予、下戸ノ五子、少シハ行ケル筈ナノニ慎ンデイル佐々木ヲ除イテ、颯子、菊太郎兄弟ノ三人デ調子ガ弾ミ、九時近ク食事ガ終ル。颯子一人五子達ヲ南禅寺ヘ送リ届ケテホテルヘ帰リ、予ト佐々木トハ夜ガ晩イカラト云ウノデ、吉兆ニ泊ル。 十四日。午前八時頃起床。釈迦堂傍ノ嵯峨豆腐ヲ取リ寄セテ朝食ヲ喫スル。別ニビニール[#「ビニール」に傍線]ノ袋ニ包ンダ豆腐ヲ土産ニ持チ、十時頃五子ヲ誘ッテ法然院ヲ訪問。颯子ハ今日ハ花見小路ノオ茶屋ヘ電話シテ、コノ夏春久ト一緒ノ時ニ友達ニナッタ祇園ノ藝者ヲ二三人招キ、晝食ヲ共ニシテカラ京極ノS・Y・京映ヘ行キ、夜ハキャバレ[#「キャバレ」に傍線]ヘ引ッ張ッテ行ッテ皆デ踊ルノダト云ウ。予ハ五子ノ紹介デ法然院ノ住職ニ面会、直チニ墓地ノ候補地ヲ見セテ貰ウ。境内ノ幽邃ナコトハ真ニ五子ノ言ニ背カズ、前ニモ二三度杖ヲ曳イタコトハアルガ、コレデモ大都会ノ市内カト驚クバカリ。コノ景観ニ接シタヾケデモ、五味溜メヲ引ックリ返シタヨウナ東京トハ比較ニナラナイ。コヽニ決メテヨカッタト思ウ。帰途五子同伴たんくまノカウンター[#「カウンター」に傍線]ニ腰掛ケテ食事シ、二時頃ホテルニ帰ル。三時ニ住職カラ連絡ガアッタト見エテ石屋ノ主人ガ面会ニ来ル。ロビー[#「ロビー」に傍線]デ面接。五子ト佐々木同席スル。 墓石ノ様式ニツイテハ、予ニサマ/″\ノ案ガアルノデ、未ダニ孰レニシテイヽカ迷イ抜イテイル。死ンデカラ後ドンナ形ノ石ノ下ニ葬ムラレヨウト差支エナイヨウナモノダガ、予ハ矢張気ニナル。ドンナ石ノ下デモイヽト云ウ訳ニ行カナイ。少クトモ今日一般ニ行ワレテイル長方形ノノッペラボウ[#「ノッペラボウ」に傍線]ノ