ますが秋くさの時代蒔絵のある盤が気に入っておりましてそれをやくにたてたいばかりに五もくならべなぞをしている、三度の食事には雛《ひな》道具のような膳《ぜん》にむかってぬりものの椀《わん》で御飯をたべる、のどがかわけば小間使いが天目台《てんもくだい》をすりあしでささげてまいりたばこがほしければ一ぷく一ぷくそばから長い煙管《キセル》につめて火をつけて出す、夜は光琳《こうりん》風の枕屏風《まくらびょうぶ》のかげでねむり寒いときは朝めをさますと座敷のなかへ油団《ゆとん》をしいてゆみずを幾度にもはこばせて半挿《はんぞう》や盥《たらい》で顔をあらう。ばんじがそういう風でござりますから何処へいくにもたいそうになりまして旅へ出ましたら女中がかならず一人はついてまいりましてあとはお静がなにやかやと世話をいたし父までが手つだいをして荷物をもつ役、着物をきせる役、あんまをする役とめいめいが一と役うけもってふじゆうなめをさせないようにいたしました。さようでござります、子供はその時分おいおい乳《ち》ばなれておりましたしばあやもついておりましたのでめったにつれてあるくことなどはござりませなんだ。しかしあるとき吉野へ花見にまいりましたせつに晩にやどやへつきましてからお遊さんが乳が張ってきたといっておしずに乳をすわせたことがござりました。そのとき父が見ておりまして上手にすうといって笑いましたらわたしは姉さんの乳をすうのは馴《な》れています。姉さんは一《はじめ》さんを生んだときから子供にはばあやの乳があるので静さん吸っておくれといっておりおり私に乳をすわせていましたと申しますのでどんなあじがするといいましたら嬰子《ややこ》のときのことはおぼえていないけれどもいま飲んでみるとふしぎな甘いあじがします、あんさんも飲んでごらんといってちちくびからしたたりおちているのを茶碗《ちゃわん》で受けてさし出しますから父はちょっとなめてみてなるほどあまいねといって何げないていに取りつくろっていましたけれどもお静がなんの意味もなく飲ませたものとばかりには思われませなんだので自《おの》ずと頬《ほお》があからんでまいりまして、その場にいづらくなりまして口の中が変だ変だといいながら廊下へ立っていきましたらお遊さんはおもしろそうにころころわらうのでござりました。で、そんなことがござりましてからおしずは父が当惑したりうろたえたりするの