ゃん、お花見してから帰りなさい、それまできっと帰ったらいかんよ。ええか姉ちゃん」 と、悦子は頻《しき》りにそう云っていたが、雪子を引き留めることについては、今度は一番貞之助が熱心であった。折角今迄いて、京都の花を見ずに帰るのは雪子ちゃんも心残りであろうし、毎年の行事に大切な役者が一人欠けては不都合であるから、と、そう云うのであったが、実は貞之助は、そんなことよりも、妻がこの間の流産以来妙に感傷的になっていて、たまたま夫婦二人きりになると、胎児のことを云い出しては涙ぐむのに悩まされているので、妹たちと花見にでも行ったら少しは紛れてくれるでもあろう、と云う下心があるからなのであった。 京都行きは九日十日の土曜日曜に定められたが、雪子はそれまでに帰るのやら帰らないのやら、例の一向はっきりともせずにぐずぐずしていて、結局土曜日の朝になると、幸子や妙子と同じように化粧部屋へ来てこしらえを始めた。そして、顔が出来てしまうと、東京から持って来た衣裳鞄《いしょうかばん》を開けて、一番底の方に入れてあった畳紙《たとう》を出して紐《ひも》を解いたが、何と、中から現れたのは、ちゃんとそのつもりで用意して来た花見の衣裳なのであった。 「何《なん》やいな、雪姉《きあん》ちゃんあの着物持って来てたのんかいな」 と、妙子は幸子のうしろへ廻ってお太鼓を結んでやりながら、雪子がちょっと出て行った隙《すき》にそう云って可笑《おか》しがった。 「雪子ちゃんは黙ってて何でも自分の思うこと徹《とお》さな措《お》かん人やわ」 と、幸子が云った。 「―――見てて御覧、今に旦那さん持ったかて、きっと自分の云うなりにしてしまうよってに」 京都では貞之助が、花見の雑沓《ざっとう》の間にあっても、赤児を抱いた人に行き遇《あ》わす毎に幸子がはっと眼を潤《うる》ませるのに当惑したが、そんな訳なので今年は夫婦が後に残るようなこともせず、日曜の晩に皆一緒に帰って来た。そして、それから二三日過ぎて、四月の中旬に雪子は東京へ立って行った。 底本:「細雪(上)」新潮文庫、新潮社 1955(昭和30)年10月30日発行 2011(平成23)年3月20日112刷改版 2013(平成25)年6月25日114刷 底本の親本:「谷崎潤一郎全集 第十五卷」中央公論社 1968(昭和43)年1月25日発行 初出:一〜八「