幸子は、雪子ちゃんももう一と月になることだし、余り長く留めて置いて後が利かなくなっても困るから、又来るにしても一遍帰ったら、と、ぽつぽつすすめていた。で、四月三日のお節句の日には、悦子が学校の友達を招いてお茶の会を催すのが毎年の例になっており、その時はいつも、雪子が手ずからパイやサンドイッチを作る習わしになっていたので、そのお節句を済ましたら帰る、と、当人も云っていたのであるが、さてお節句が済んでしまうと、もう三四日で祇園《ぎおん》の夜桜が見頃だそうだから、―――と云うことになった。 「姉ちゃん、お花見してから帰りなさい、それまできっと帰ったらいかんよ。ええか姉ちゃん」 と、悦子は頻《しき》りにそう云っていたが、雪子を引き留めることについては、今度は一番貞之助が熱心であった。折角今迄いて、京都の花を見ずに帰るのは雪子ちゃんも心残りであろうし、毎年の行事に大切な役者が一人欠けては不都合であるから、と、そう云うのであったが、実は貞之助は、そんなことよりも、妻がこの間の流産以来妙に感傷的になっていて、たまたま夫婦二人きりになると、胎児のことを云い出しては涙ぐむのに悩まされているので、妹たちと花見にでも行ったら少しは紛れてくれるでもあろう、と云う下心があるからなのであった。 京都行きは九日十日の土曜日曜に定められたが、雪子はそれまでに帰るのやら帰らないのやら、例の一向はっきりともせずにぐずぐずしていて、結局土曜日の朝になると、幸子や妙子と同じように化粧部屋へ来てこしらえを始めた。そして、顔が出来てしまうと、東京から持って来た衣裳鞄《いしょうかばん》を開けて、一番底の方に入れてあった畳紙《たとう》を出して紐《ひも》を解いたが、何と、中から現れたのは、ちゃんとそのつもりで用意して来た花見の衣裳なのであった。 「何《なん》やいな、雪姉《きあん》ちゃんあの着物持って来てたのんかいな」 と、妙子は幸子のうしろへ廻ってお太鼓を結んでやりながら、雪子がちょっと出て行った隙《すき》にそう云って可笑《おか》しがった。 「雪子ちゃんは黙ってて何でも自分の思うこと徹《とお》さな措《お》かん人やわ」 と、幸子が云った。 「―――見てて御覧、今に旦那さん持ったかて、きっと自分の云うなりにしてしまうよってに」 京都では貞之助が、花見の雑沓《ざっとう》の間にあっても、赤児を抱いた人に行き遇《あ》わす毎に幸子