い日などに、土地の人が水道路《すいどうみち》と呼んでいる、阪急の線路に並行した山側の路を、余所《よそ》行きの衣裳《いしょう》を着飾って連れ立って歩いて行く姿は、さすがに人の目を惹《ひ》かずにはいなかったので、あのあたりの町家の人々は、皆よくこの三人の顔を見覚えていて噂《うわさ》し合ったものであったが、それでも三人のほんとうの歳を知っている者は少かったであろう。幸子には悦子と云うものがあるので、そんなに隠せはしない筈《はず》だけれども、その幸子さえどうしても二十七八以上には見えず、まして嫁入前の雪子はせいぜい取っていても廿三四、妙子になると十七八の少女に間違えられたりした。だから雪子などは、本来ならばもう「お嬢さん」だの「娘《とう》ちゃん」だのと呼ぶのには可笑しい年頃なのだけれども、誰もそう呼んでいて奇妙に思う者はなかったし、又三人ながら派手な色合や模様の衣裳がよく似合うたちなのであった。それは衣裳が派手であるから若く見えると云うのではなくて、顔つきや体つきが余り若々しいために派手なものを着なければ似合わないと云うのが本当であった。貞之助は、去年この姉妹に悦子を連れて錦帯《きんたい》橋へ花見に行った時、三人を橋の上に列《なら》べて写真を撮ったことがあって、その時|詠《よ》んだ彼の歌に、―――美しき姉妹《おとどい》三人《みたり》居ならびて写真とらすなり錦帯橋の上、と云うのがあったが、全く、この姉妹はただ徒《いたずら》に似ていると云うのとは違って、それぞれ異なった特長を持ち、互に良い対照をなしながら、一方では紛う方なき共通点のあるところが、見る人の目にいかにもよい姉妹だと云う感を与えた。先《ま》ず身の丈からして、一番背の高いのが幸子、それから雪子、妙子と、順序よく少しずつ低くなっているのが、並んで路を歩く時など、それだけで一つの見物《みもの》なのであるが、衣裳、持ち物、人柄、から云うと、一番日本趣味なのが雪子、一番西洋趣味なのが妙子で、幸子はちょうどその中間を占めていた。顔立なども一番円顔で目鼻立がはっきりしてい、体もそれに釣《つ》り合って堅太りの、かっちりした肉づきをしているのが妙子で、雪子はまたその反対に一番細面の、なよなよとした痩形《やせがた》であったが、その両方の長所を取って一つにしたようなのが幸子であった。服装も、妙子は大概洋服を着、雪子はいつも和服を着たが、幸子は