国の領主に不向きな性格なのだから、負傷をしたのを口実に領地の仕置きを家老共に任して、奥御殿に引っ込んでいられる方が結局気楽な訳であって、表面憂鬱に見えたとは云え、心の底では案外苦に病んでいなかったかも知れない。 そのうちに八月も過ぎて九月になった。例年ならば、観月の宴、菊の節句、紅葉狩《もみじが》りと、次々に催しがあるのだけれども、今年はそんな次第で殿の御気色《みけしき》がすぐれないものだから、表でも奥でも派手な遊びは差控えることにして、ほんの型ばかりの行事を済ませた。それでなくても牡鹿山の秋が更《ふ》けて、村しぐれをさそう風のひゞき、落葉のおとが身に沁むのに、分けても奥御殿は火の消えたようにひっそりとして、夜になると前栽《せんざい》の草葉のがさ/\と鳴るのが物凄く、とき/″\遠くの方で鹿や狐の啼《な》くこえが谷間にこだまする。ぜんたい則重は、若い腰元共を集めて琴を弾《ひ》かせたり、舞を舞わせたりすることが大好きだったので、ちと気晴らしにそんな催しをすればよいのだが、近頃は夫人とさし向いでしんみり酒を酌み交すぐらいが関の山で、とんとそう云う陽気な遊びをしない。それと云うのが、一つは春の花見の宴の出来事に懲りたせいでもあるが、一つは、元来彼自身が声自慢で、何かと云うとすぐに小唄を謡《うた》って聞かせたものだのに、残念ながら発音に故障を生じ、息がすう/\洩れると云う現状では、折角の美音も如何ともしようがない。で、自分が謡《うた》えないとなると、人の謡うのが羨《うらや》ましくもあり、忌ま/\しくもなって来るので、管絃の宴を開いても一向面白くないのである。 さて九月も既に半ばに近づいた或る日のこと、ゆうがたから降り出した秋雨が夜になっても降り止まず、しと/\/\と、しずかに、土に滲《し》み入るように降りしきって、軒端をつたう雫《しずく》のおとがそゞろに人を物思いに誘うと云う晩、織部正は宵《よい》の口から夫人の部屋に閉じ籠り、侍女のお春に酌をさせて夫婦仲むつまじく盃《さかずき》の遣《や》り取りをしていた。いとしい人を側に置いて蕭々《しょう/\》たる雨の音を聞きながらチビリチビリやると云うのは、誰しも悪くないものだが、織部正もその晩は例になく酒がはずみ、大分平素よりも数を重ねて、珍しい上機嫌であった。そしてとき/″\夫人の方へ盃を廻しては、 「どうかの、そなたも今すこし過さぬかの?