べく頸《くび》を左へ捻《ね》じた途端に、矢は顔の右半面をさっとかすって、そこに凸出《とっしゅつ》していた肉片の幾分と軟骨とを、―――つまり、彼の右の耳朶《みゝたぼ》を、―――浚《さら》って行った。 直ちに腰元共が、一と組は則重を介抱し、一と組は薙刀《なぎなた》を持って庭へ駈け出したのは云う迄もない。花見以来既に三月も過ぎていて、あれきり何事も起らなかったし、下手人の捜索も絶望に帰して、多少油断が生じかけている折柄であったが、此の前の経験で周到な警戒網が即時に張られた。が、曲者は空を翔《あまがけ》ったか地にもぐり込んだか、今度も見附からずじまいであった。 則重の負傷は、生理的障害が少いと云う点で此の前と同じ、―――いや、此の前よりもなお軽かった。たゞ外見上からは、兎唇の上に右の耳朶がちぎれたのは相当の打撃だけれども、一つしかない鼻がなくなるよりは此の方がまだ仕合わせであった。尤も此れでは顔の相似形《そうじけい》が不均斉になった訳だから、兎唇や鼻缺けよりも一層悪いと云う議論も成り立つが、それは人々の意見に任せるとしよう。そんなことよりも牡鹿城内に於ける人心の不安と動揺とは大変であった。あの花見の時の曲者と今度の曲者とは十中八九同一の人物と認めなければならないが、あの時以来今日まで奥御殿に潜《ひそ》んでいたとすると、これはどうしても内部の者の仕業である。男子禁制の区域にも、雑色《ぞうしき》、小者《こもの》、仲間《ちゅうげん》の類は使われているから、先ずそう云う方面から身体検査や身元調べが始められて、追い/\上の方の女中たちにまで及んだ。そして最も濃い嫌疑をかけられたのは、「お局様《つぼねさま》」や「お部屋様」と呼ばれている側室の婦人たちであった。と云うのは、大概大名の奥向きなどでは、正室の夫人よりも妾《めかけ》たちの方が寵遇《ちょうぐう》されているものだのに、織部正は思い人を妻に迎えたゞけあって、夫婦仲が非常によい。彼が二人も三人もの側室を置いているのは、半分はその頃の領主の習慣と、半分は彼自身の好色の惰勢に過ぎないので、現に正室との間には二人まで子を儲《もう》けながら、彼女たちには一人も生ませていないのを見ても、どんなに側室の連中が袖《そで》にされていたかゞ分る。それでも以前にはとき/″\気紛れに彼女たちを訪れることがあったけれども、最近彼の容貌の上に不幸な災禍が見舞ってか