う迄は何回でも襲撃を行わせるであろうか。―――河内介の興味は結局そこへ落ちざるを得なかった。 すると、同じ年の六月、夏の盛りの頃であったが、或る晩則重が夫人と共に風通しのよい縁先にくつろぎながら酒を飲んでいると、突然庭前の木立ちの繁みから矢が飛んで来た。それは則重の顔に対して全く此の前と同じ角度、同じ方向から放たれたものだが、物静かな宵のことで、ひゅうッと風を切る音がしたので、アワヤと云う時則重は反射的に顔を背《そむ》けつゝ身を反《そ》らした。もしそうしなかったら今度こそ彼の兎唇の上にある隆起物が其ッ平《たい》らになってしまったかも知れない。しかしそれにしても、彼が身を避けるより矢の来る方が速かったので、無傷と云う訳には行きかねた。「あっ」と云って彼が上体をうしろへ引き、右から来る矢をカワすべく頸《くび》を左へ捻《ね》じた途端に、矢は顔の右半面をさっとかすって、そこに凸出《とっしゅつ》していた肉片の幾分と軟骨とを、―――つまり、彼の右の耳朶《みゝたぼ》を、―――浚《さら》って行った。 直ちに腰元共が、一と組は則重を介抱し、一と組は薙刀《なぎなた》を持って庭へ駈け出したのは云う迄もない。花見以来既に三月も過ぎていて、あれきり何事も起らなかったし、下手人の捜索も絶望に帰して、多少油断が生じかけている折柄であったが、此の前の経験で周到な警戒網が即時に張られた。が、曲者は空を翔《あまがけ》ったか地にもぐり込んだか、今度も見附からずじまいであった。 則重の負傷は、生理的障害が少いと云う点で此の前と同じ、―――いや、此の前よりもなお軽かった。たゞ外見上からは、兎唇の上に右の耳朶がちぎれたのは相当の打撃だけれども、一つしかない鼻がなくなるよりは此の方がまだ仕合わせであった。尤も此れでは顔の相似形《そうじけい》が不均斉になった訳だから、兎唇や鼻缺けよりも一層悪いと云う議論も成り立つが、それは人々の意見に任せるとしよう。そんなことよりも牡鹿城内に於ける人心の不安と動揺とは大変であった。あの花見の時の曲者と今度の曲者とは十中八九同一の人物と認めなければならないが、あの時以来今日まで奥御殿に潜《ひそ》んでいたとすると、これはどうしても内部の者の仕業である。男子禁制の区域にも、雑色《ぞうしき》、小者《こもの》、仲間《ちゅうげん》の類は使われているから、先ずそう云う方面から身体検査や身元調べが始