いのに。 「今からだと、ちょうど時間の都合もいいし、―――」 彼女は夫の顔色には頓着《とんじゃく》なく、七宝《しっぽう》入りの両蓋《りょうぶた》の時計をキラリと胸のところで開いた。 「来たついでだから、松竹へ行って御覧にならない?」 「まあお前、要さんは面白いと云うんだから、―――」 と、老人は何処《どこ》かだだ[#「だだ」に傍点]ッ児じみた感じの現れる気短かそうな眉《まゆ》を寄せた。 「―――そう云わないでもう少し附き合ったらいいだろうに。松竹なんか又出直しても済むんだから」 「ええ、要が見たいって云うのなら見てもいいんですけれど」 「それにお前、お久がゆうべからかかって弁当を拵《こしら》えて来たんだから、そいつをたべて行っておくれ。こんなにあっちゃあ私たちじゃあたべ切れやしない」 「何お云やす、わざわざ上っていただくほどおいしいことおへんえ」 三人の言葉の取りやりを子供が大人の傍にいるように無関係に聞き過していたお久は、そう云ってきまり悪そうに、はすかい[#「はすかい」に傍点]に載っていた組重の蓋を直して、四角な入れ物へモザイクのように詰まっている色どりを隠した。が、高野《こうや》豆腐を一つ煮るのにもなかなか面倒な講釈をする老人は、この歳《とし》の若い妾を仕込むのに煮焚《にた》きの道をやかましく云って、今ではお久の料理でなければ口に合わないと云うほどなので、それを二人に是非ともたべさせたいのであった。 「松竹はもう遅いだろう。明日《あした》におしよ」 と、要は「松竹」と云う中へ「須磨」を含ませて云った。 「まあもう一と幕見て、お久さんの心づくしを戴いてからの都合にしようよ」 けれども妙に間が合わなくなった夫婦の気持は、二た幕目の「治兵衛|内《うち》の場」を見ている内に一層変にさせられてしまった。たとい人形の演ずる劇であり、奇怪な誇張に充ちている浄瑠璃の物語であるとは云え、治兵衛とおさんとの夫婦関係には、二人がそっと相顧みて苦笑を余儀なくするものがあった。要は、「女房のふところには鬼が栖《す》むか蛇《じゃ》が栖むか」と云う文句を聞くと、それがいかにも性慾的にかけ離れてしまった女夫《めおと》の秘事を婉曲《えんきょく》ながら適切に現わしているのに気づいて、暫《しばら》く胸の奥の方が疼《うず》くのを感じた。彼は義太夫の「天《てん》の網島《あみじま》」は巣林子《そうりんし》の