にした故《ゆえ》に盲目になってからの彼の労苦は以前に倍加した。てる女の言によれば当時門弟達は佐助の身なりが余りみすぼらしいのを気の毒がり今少し辺幅《へんぷく》を整えるように諷《ふう》する者があったけれども耳にもかけなかったそして今もなお門弟達が彼を「お師匠さん」と呼ぶことを禁じ「佐助さん」と呼べと云いこれには皆《みな》が閉口してなるべく呼ばずに済まそうと心がけたがてる女だけは役目の都合《つごう》上そう云う訳に行かず常に春琴を「お師匠様」と呼び佐助を「佐助さん」と呼び習わした。春琴の死後佐助がてる女を唯一《ゆいいつ》の話相手とし折に触れては亡《な》き師匠の思い出に耽《ふけ》ったのもそんな関係があるからである後年彼は検校となり今は誰《だれ》にも憚《はば》からずお師匠様と呼ばれ琴台先生と云われる身になったがてる女からは佐助さんと呼ばれるのを喜び敬称を用いるのを許さなかったかつててる女に語って云うのに、誰しも眼が潰《つぶ》れることは不仕合わせだと思うであろうが自分は盲目になってからそう云う感情を味わったことがないむしろ反対にこの世が極楽|浄土《じょうど》にでもなったように思われお師匠様とただ二人生きながら蓮《はす》の台《うてな》の上に住んでいるような心地がした、それと云うのが眼が潰れると眼あきの時に見えなかったいろいろのものが見えてくるお師匠様のお顔なぞもその美しさが沁々《しみじみ》と見えてきたのは目しいになってからであるその外《ほか》手足の柔かさ肌《はだ》のつやつやしさお声の綺麗《きれい》さもほんとうによく分るようになり眼あきの時分にこんなにまでと感じなかったのがどうしてだろうかと不思議に思われた取り分け自分はお師匠様の三味線の妙音を、失明の後に始めて味到《みとう》したいつもお師匠様は斯道《しどう》の天才であられると口では云っていたもののようやくその真価が分り自分の技倆《ぎりょう》の未熟《みじゅく》さに比べて余りにも懸隔《けんかく》があり過ぎるのに驚き今までそれを悟《さと》らなかったのは何と云うもったいないことかと自分の愚《おろ》かさが省みられたされば自分は神様から眼あきにしてやると云われてもお断りしたであろうお師匠様も自分も盲目なればこそ眼あきの知らない幸福を味《あじわ》えたのだと。佐助の語るところは彼の主観の説明を出でずどこまで客観と一致するかは疑問だけれども余事はとにか