でゞすから、しのんであちらへおたちのきなされませ、なにも籠城あそばさずとも苦しかるまいとぞんじますと、御けらいがいさめましたけれども、いや/\、おれは小さいときから引きとられて養育を受けているうえに莫大な領地をたまわっている、その恩義のあるのが一つ、もし|としいえ《利家》のえんじゃでなければ母への孝養《こうよう》に生きながらえるみちもあるが、舅のえんにすがって一命をつなぐのは卑怯だとおもうことが一つ、みょうじをけがせば先祖にたいしてもうしわけのないのが一つ、この三つの道理に依ってろうじょうするのだと申されて、討死のかくごをきめられました。また御定番《ごじょうばん》の松浦九兵衛尉どのは法華《ほっけ》の信者でござりまして、小庵《しょうあん》をむすんで上人《しょうにん》をひとり住まわせておかれましたところ、その上人もまつうらどのがろうじょうなさるのをきかれまして、あなたと愚僧とは現世《げんせ》のちぎりがふこうござりましたから、ぜひ来世へもおともをして報恩謝徳《ほうおんしゃとく》いたしましょうと申され、まつうらどのゝとめるのもきかずにおしろへたてこもられました。それから玄久と申すおひと、これは豆腐屋でござりました。もっとも以前はかついえ公のおさな馴染《なじ》みでござりましたが、あるときかっせんにふかでを負いましたについて、このからだでは御奉公もなりかねますからおいとまをいたゞきます、もうわたくしも武士をやめて町人になりますと申されましたので、「そうか、それならお前は豆腐屋になれ」と仰っしゃって、大豆を年に百俵ずつ下されました。さればこんどもおともをいたし、来世でおとうふをさしあげるのだと申して、わざ/\まちかたよりおしろへはいったのでござります。そのほか舞の若太夫、山口一露斎、右筆《ゆうひつ》の上坂大炊助どの、このかた/″\ものこられました。なかにはみれんなものもおりまして、徳菴どのは柴田どのゝ法師武者の一人《ひとり》といわれ、文荷斎どのとおなじように世に知られた方でござりましたのに、としいえ公のひとじちをぬすみ出されておしろをにげのび、府中へたよって行かれましたけれども、不義理な奴だと仰っしゃってとしいえ公もみけしきをそんぜられ、おちかづけにならなかったと申します。そのゝちこのかたはどうなりましたやら。せけんの人がだれもあいてにしませぬので、たいそうおちぶれて都のまちをさまよ