、動悸は静まって脚は軽くなり、体のしんどいのは多少直った様子であったが、不眠症の方はますますひどくなって行った。診《み》て貰《もら》う程でもあるまいと思って櫛田医師に電話で相談して、アダリンを一箇寝しなに飲ますようにしてみたが、一箇ではなかなか利《き》いて来ないし、量を殖やすと利き過ぎて寝坊をする。朝、余りよく寝ているので、寝かして置いてやると、眼が覚めるや否《いな》や枕元の時計を見てわッと泣き出して、今日も遅刻した、こんなに遅くては極まりが悪くて学校へ行かれないと云って喚く。そんならと云って、遅刻しないように起してやると、悦子ちょっとも昨夜寝られてえへんねんと、怒って布団《ふとん》を頭からすっぽり被《かぶ》って寝てしまい、眼が覚めると又遅刻したと云って泣き出す。女中達に対する愛憎の変化が激しくなって、嫌い出すと極端な言葉を使い、「殺す」とか「殺してやる」とか云うことを屡※[#二の字点、1-2-22]《しばしば》口走る。それに、発育盛りの年頃にしては前から食慾が旺盛《おうせい》でないのであるが、その傾向が募って来て、毎食一二|膳《ぜん》しか食べず、お数も、塩昆布《しおこんぶ》とか、高野豆腐《こうやどうふ》とか、老人の食べるような物を好み、お茶漬にして無理に飯を流し込む。「鈴」と云う牝猫《めすねこ》を可愛がって、食事の時は脚下に置いていろいろの物を与えるのであるが、少し脂《あぶら》っこい物は自分が食べるよりも大半鈴に遣《や》ってしまう。そのくせ潔癖が異常に強くて、食事の間に、猫が触ったとか、蠅《はえ》が止ったとか、給仕人の袖《そで》が触ったとか云って、二三度は箸《はし》に熱湯をかけさせるので、給仕する者は心得て、番茶の熱いのを土瓶《どびん》に入れて食事の初めから食卓の上に用意して置く。蠅を恐れることは非常で、食物に止った場合は勿論《もちろん》、近くへ飛んで来たのを見ただけでも、どうも止ったらしいと云って食べなかったり、確かに今の蠅は止まらなかっただろうかと、周囲の者に執拗《しつこ》く尋ねたりする。そして、箸から落したものは、洗いたてのテーブルクロースの上に落ちたのでも、汚がって食べない。或る時幸子は、悦子を連れて水道路《すいどうみち》へ散歩に出て、路端《みちばた》に蛆《うじ》の沸いた鼠《ねずみ》の屍骸《しがい》が転がっているのを見たことがあったが、その傍を通り過ぎて凡《お