語かて使うてますねんけど、あんさんとこまで聞えしませんねん」 「そうらしいですよ[#「らしいですよ」は、『谷崎潤一郎全集 第十九巻』(中央公論新社2015年6月10日初版発行)と『谷崎潤一郎全集 第十五卷』(中央公論社1968年1月25日発行)では「らしいんですよ」]。たまには仏蘭西語も使うてるらしいんですが、その時はいつも虫の息みたいな小さな声できまり悪そうに云うもんですから、隣の部屋まで聞えて来る筈《はず》がないんです。あれではいくらやったって上達しない訳ですが、どうせ奥さんやお嬢さんの語学の稽古なんて、何処でもあんなものなんでしょうな」 「まあ、えらい云われ方。―――けど、語学の稽古だけやあれしませんね。料理の仕方やら、お菓子の焼き方やら、毛糸の編み方やら、日本語使うてる時かていろいろ教《お》せて貰うてますねん。あんさんこの間あの烏賊《いか》の料理たいそう気に入って、もっと外にも教せて貰え云うてはったやおませんか」 夫婦の云い合いが余興になって皆笑い出したが、 「その、烏賊のお料理と申しますと?」 と云う房次郎夫人の質問から、烏賊をトマトで煮て少量の大蒜《にんにく》で風味を添える仏蘭西料理の説明が暫《しばら》くつづいた。 [#5字下げ]十一[#「十一」は中見出し] 幸子は瀬越が注《つ》がれればいくらでも酒杯を傾けるらしい様子に、あの飲みっ振りではなかなか行けるに違いないとさっきから見ていた。房次郎は全くの下戸であるらしく、五十嵐も耳の附け根まで赤くなって、「いえ、もう私は」とボーイが廻って来る度に手を振っているのであるが、瀬越と貞之助とは好い取組で、まだ一向に顔にも態度にも出ていなかった。尤《もっと》も井谷の話にも、瀬越さんは毎晩はおやりにならないそうですけれどもお酒はお嫌《きら》いではない方で、機会があれば相当にお飲みになるとのことです、と聞かされていたが、幸子はそれも強《あなが》ち悪いこととは思っていなかったのであった。と云うのは、幸子達の姉妹は母が早く亡《な》くなった関係上、晩年の父の食膳《しょくぜん》に侍《はべ》りながら毎夜相手をさせられたものなので、本家の姉の鶴子を初め、皆少しずつは行ける口であるところから、―――そして、養子の辰雄も、貞之助も、孰《いず》れもいっぱしの晩酌《ばんしゃく》党であるところから、全然飲まない人と云うものも何となく物足りないような