では随分な違いになる訳であるが、賤《いや》しいことを云えば、お惣菜《そうざい》の献立なども大阪時代とは変って来て、シチュウとか、ライスカレとか、薩摩汁《さつまじる》とか、なるべく一種類で、少しの材料で、大勢の者がお腹一杯食べられるような工夫をする。そんな風だから、牛肉と云ったって鋤焼《すきやき》などはめったに食べられず、僅《わず》かに肉の切れっ端が一|片《ひら》か二片浮いているようなものばかりを食べさせられる。それでもたまに子供たちが一《ひと》立て済んでから、大人たちだけ別な献立で、兄さんの相手をしながらゆっくり夕飯を楽しむ折があって、鯛《たい》は東京は駄目《だめ》だとしても、赤身のお作りなどが食べられるのはまあそんな時だけであるが、それも実際は、兄さんのためと云うよりは、夫婦があたしに気がねして、いつも子供たちのお附合いばかりさせて置いては雪子ちゃんが可哀《かわい》そうだから、と云うようなことであるらしい。――― 「姉ちゃん等《ら》の様子見てたら、そうやないやろか云う気イするねん。………まあ、見てて御覧、あの家変れへんよってに」 「ふうん、そうかなあ。東京へ行って、すっかり姉ちゃん等人生観が変ってしもたんかなあ」 「そら、雪子ちゃんの観察が或《あるい》は当ってるかも知れん」 と、貞之助も云った。 「東京へ移住したのを機会に、今迄みたいな虚栄心を捨てて大いに勤倹貯蓄主義で行こう。―――兄さんやったらそんな考になるのんも無理のないとこやし、誰に聞かれても結構なことやないか。あの家かて、狭いことは狭いけど、辛抱しょう思えば出来んことはないさかいにな」 「けど、そんならそうとはっきり云うたらええのんに、今でも時々、雪子ちゃんの部屋がないのんが不都合やなあ云うて、人の顔を見たら言訳するのんが可笑《おか》しゅうて、―――」 「まあ、人間云うもんはそう一遍にガラリ変ってしまう訳には行かんさかいに、多少は体裁も作るわいな」 「うち、今にそんな狭いとこへ行かんならんのん?」 と、妙子は自分に一番痛切なことを聞いた。 「さあ、………こいさんが来たかて寝るとこも何もあれへんけど、………」 「そしたら、まだ当分は大丈夫か知らん」 「兎に角今のとこ、こいさんのことなんぞ忘れてるらしいわ」 「おい、もう寝よう。―――」 煖炉|棚《だな》の置時計が二時半を打ったので、貞之助がびっくりしたように立ち