た。 谷崎君の他の小説についてそう思ったことはなかったが、この小説の筆致は、私をして雨月物語《うげつものがたり》を連想させた。しかし、上田秋成《うえだあきなり》はあの時分の作家だから、こういう題材を扱っても、お座なりの道徳的訓戒をくっつけるくらいで、何でもなしに事件と光景を描叙するだけであったであろう。谷崎君は概して心理研究者の態度を執っている。武州公をして自己反省をさせている。「心の奥底に、全く自分の意力の及ばない別な構造の深い/\井戸のようなものがあって、それが俄《にわ》かに蓋《ふた》を開《あ》けた」など、作者の説明が少《すくな》くない。作者の心に映る幻影を幻影として写す秋成の態度と、心理批判を棄て得ない谷崎君の態度に、私などは時代の相違を見るので、必《かならず》しも一を是《ぜ》とし一を非《ひ》とするのではない。武州公は現代人の姿をもって現われているのである。 「首に嫉妬を感じ」「生きて彼女の傍《そば》にいるという想像は一向楽しくなかったが、もしも自分があのような首になって、あの女の魅力の前に引き据えられたら、どんなに幸福だか知れない」なんて考えるのは、奇怪なようだが、首斬りを人生の大事業とし、首斬りに絶大な歓喜を覚えていた戦国時代には首という者に、たとえ斬られた後《のち》にでも、生命が宿っていると思われていたのだ。歌舞伎年代記などに記載されているが、昔の芝居には、獄門首《ごくもんくび》が恨みを述べたり、親子の名乗りをしたりするのは、普通の事件で、見物《けんぶつ》がそういうものを喜んでいた。道阿弥の首を賞翫《しょうがん》しながら、若夫婦が蚊帳《かや》の中の寝床で盃《さかずき》の遣り取りをするのも、草双紙の趣向にもありそうなことである。相手の男を柱に縛りつけ、その鼻先の畳の上に白刃《しらは》を突立《つった》て女に酌をさせながら一人で得意になっている光景を描いた芝居絵を、私は見たことがあった。縛られた男はその縛られ振りにも顔面の表情にも道化味があらわれていた。 それで、「武州公秘話」は、ちょっと見ると、徳川末期趣味を髣髴《ほうふつ》とさせているが、その趣味だけに停滞しないで、愛慾心理を追窮《ついきゅう》しているところに作者自身が意識するしないに関わらず、シリアスな感じが読者の心に伝わるのである。 永井荷風君は、青年期にフランス文化を羨望し、フランス趣味に魅惑され